招福楼事件・その5
(その1、2、3、4からのつづき)
だが、滋賀県なのに京料理とされることへの私のひっかかりはPさんにはなく、天皇陛下と渡辺ジュンイチ先生と1980年のTV番組で「お一人様4万円より」、この3ファクターで、彼は招福楼に対する認識を是正したようである。
「そうだったのか、そんなお店に招待してくれるって言ってるのを断るって手はないよな」
「それはそうよ」
この点においてはそのとおりである。断ることはない。
「それにね、あそこには思い出があるの……」
招福楼にはむかしむかし、おばあさんがいた。経営者のお母さんなのかお祖母さんなのかわからない。東京オリンピック前のことである。そのおばあさんと、もうひとりのおばあさんは友達だった。どういう関係での友達なのかはわからない。
で、その、もうひとりのおばあさんに、私は里子に出されていた。もうひとりのおばあさんと私には血縁はない。家庭の事情があって、幼いころ、私はいくつかの家に預けに出されていた。そのうちのひとり。
もうひとりのおばあさんの家にいたころ、その人が、「今日は友達を訪ねる」というので、私はついていった。私はまだ4歳くらいである。
もうひとりのおばあさんの後ろについて、招福楼のある町まで移動するだけでも、4歳かそこらの子にとっては、「長旅」の感覚である。
そうして招福楼に着くと、これがまた、内部が広大で、ほとんどラビリンスである。和服を着た女の人がしずしずと横を通りすぎて、時代劇映画のなかに入り込んだような感覚になる。
やがて、もうひとりのおばあさんと、招福楼のおばあさんは、長々とおしゃべりをはじめた。だれでも想像がつくだろうが、おばあさん二人がしゃべっているそばにいる幼児が、どう感じるか? そりゃ、退屈きわまる。
そこで、私は勝手に、部屋を出て、招福楼のなかを庭をふくめ、探検してまわった。(もちろん、当時の年齢の体格では、歩き回るといってもたいした半径じゃなかったのだろうが)
そして、すっかり迷ってしまった。
青ざめたよー。もうひとりのおばあさんと再会するまでの、はらはらどきどきの時間は、後年、はじめての海外旅行をした時よりもずっときょうれつだった。
めまいがするようなこのときの感覚を、そのまま書いたのではないのだが、もとにして書いたのが、『喪失記(角川文庫)』のなかの、かくれんぼのシーンである。
私としては、「招福楼を撮影に使った(はなはだ勝手に)豪華なシーン」の気分でいるのだが、しかし、この「作品の裏話」も、全国の方にとっては、「滋賀県のお店じゃあね……」になるんでしょうね(T_T)
かの招福楼であるのに、滋賀県にあるというだけで「滋賀県のお店じゃあ……」になる、ああ滋賀県。
ちなみに、Q先生御一行様は、めでたく招福楼でお夕食をとられた。しかし、Q先生は若いじぶんに苦労されたので、食べ物にはとんとこだわりがないのである。出されたものならなんでもそれでよろしい、という感覚の方。
Xさんはスケジュールの関係で、イベントが終わるやいなやとんぼ返り。YさんはQ先生とともに夕食を食べた。Yさんは小説家である。該博で読ませるロマンである。とても売れている。私もファンである。
が、読んだ作品のなかに食べ物の描写がひとつもないといっても過言ではない。「夕食のあと、××子はなにそれした」とか「昼食は時間がなかったので××ですませた」というような便宜的な記述はあっても、食べ物を詳らかに描写したシーンが私の読んだかぎりひとつもない。
「この人、きっと食べることに興味がないんだろうな」と思っていたら、やっぱりそうだった。Yさんにとっては、食事はすませればそれでよいものなのである。
つまり、Q先生もYさんも、招福楼だろうがマックだろうが、夕食なんかどこで食べてもよかったんである(T_T)
Q子さんの感想は不明。Pさんは後日、電話があった。
「ものすごくおいしかった。手間がかかった、手のこんだ料理だった。盛りつけも、容器も、ものすごくきれいだった。ああ、断らなくてよかった」
とのこと。でも、滋賀県の人も、招福楼って、行ったことある人なんかほとんどいないのでは? これがほんとの幻の湖、幻の名店。(注/『幻の湖』=滋賀県が舞台のケッ作大長編映画)
オワリ
だが、滋賀県なのに京料理とされることへの私のひっかかりはPさんにはなく、天皇陛下と渡辺ジュンイチ先生と1980年のTV番組で「お一人様4万円より」、この3ファクターで、彼は招福楼に対する認識を是正したようである。
「そうだったのか、そんなお店に招待してくれるって言ってるのを断るって手はないよな」
「それはそうよ」
この点においてはそのとおりである。断ることはない。
「それにね、あそこには思い出があるの……」
招福楼にはむかしむかし、おばあさんがいた。経営者のお母さんなのかお祖母さんなのかわからない。東京オリンピック前のことである。そのおばあさんと、もうひとりのおばあさんは友達だった。どういう関係での友達なのかはわからない。
で、その、もうひとりのおばあさんに、私は里子に出されていた。もうひとりのおばあさんと私には血縁はない。家庭の事情があって、幼いころ、私はいくつかの家に預けに出されていた。そのうちのひとり。
もうひとりのおばあさんの家にいたころ、その人が、「今日は友達を訪ねる」というので、私はついていった。私はまだ4歳くらいである。
もうひとりのおばあさんの後ろについて、招福楼のある町まで移動するだけでも、4歳かそこらの子にとっては、「長旅」の感覚である。
そうして招福楼に着くと、これがまた、内部が広大で、ほとんどラビリンスである。和服を着た女の人がしずしずと横を通りすぎて、時代劇映画のなかに入り込んだような感覚になる。
やがて、もうひとりのおばあさんと、招福楼のおばあさんは、長々とおしゃべりをはじめた。だれでも想像がつくだろうが、おばあさん二人がしゃべっているそばにいる幼児が、どう感じるか? そりゃ、退屈きわまる。
そこで、私は勝手に、部屋を出て、招福楼のなかを庭をふくめ、探検してまわった。(もちろん、当時の年齢の体格では、歩き回るといってもたいした半径じゃなかったのだろうが)
そして、すっかり迷ってしまった。
青ざめたよー。もうひとりのおばあさんと再会するまでの、はらはらどきどきの時間は、後年、はじめての海外旅行をした時よりもずっときょうれつだった。
めまいがするようなこのときの感覚を、そのまま書いたのではないのだが、もとにして書いたのが、『喪失記(角川文庫)』のなかの、かくれんぼのシーンである。
私としては、「招福楼を撮影に使った(はなはだ勝手に)豪華なシーン」の気分でいるのだが、しかし、この「作品の裏話」も、全国の方にとっては、「滋賀県のお店じゃあね……」になるんでしょうね(T_T)
かの招福楼であるのに、滋賀県にあるというだけで「滋賀県のお店じゃあ……」になる、ああ滋賀県。
ちなみに、Q先生御一行様は、めでたく招福楼でお夕食をとられた。しかし、Q先生は若いじぶんに苦労されたので、食べ物にはとんとこだわりがないのである。出されたものならなんでもそれでよろしい、という感覚の方。
Xさんはスケジュールの関係で、イベントが終わるやいなやとんぼ返り。YさんはQ先生とともに夕食を食べた。Yさんは小説家である。該博で読ませるロマンである。とても売れている。私もファンである。
が、読んだ作品のなかに食べ物の描写がひとつもないといっても過言ではない。「夕食のあと、××子はなにそれした」とか「昼食は時間がなかったので××ですませた」というような便宜的な記述はあっても、食べ物を詳らかに描写したシーンが私の読んだかぎりひとつもない。
「この人、きっと食べることに興味がないんだろうな」と思っていたら、やっぱりそうだった。Yさんにとっては、食事はすませればそれでよいものなのである。
つまり、Q先生もYさんも、招福楼だろうがマックだろうが、夕食なんかどこで食べてもよかったんである(T_T)
Q子さんの感想は不明。Pさんは後日、電話があった。
「ものすごくおいしかった。手間がかかった、手のこんだ料理だった。盛りつけも、容器も、ものすごくきれいだった。ああ、断らなくてよかった」
とのこと。でも、滋賀県の人も、招福楼って、行ったことある人なんかほとんどいないのでは? これがほんとの幻の湖、幻の名店。(注/『幻の湖』=滋賀県が舞台のケッ作大長編映画)
オワリ