南郷の洗堰
1960年代。
5月。
小学校のバス旅行で南郷の洗堰に行った。
南郷の洗堰がどのような目的で、何年にどのような人によって設計され作られ、どのような構造になっていて、どんなふうに作用しているか、詳しく教えられた。
だが小学生なので、話をされているときはかしこまっていただろうが、どんな話をされたか、今では記憶がない。
春だったがすごく暑い日だった。
3−1(3の1)。
それが私のクラスだった。
古いアルバムにクラスのみんなと撮った集合写真がある。
学校行事があるとやってくる学校と契約している(?)写真屋さんが撮った。当時のことゆえ、モノクロである。
男子はシャツを脱いでしまっている子も多く、脱いだ子は肌着のランニングシャツの上半身で映っている。
私は風でブラウスの衿が立っている。そのようすをケイコちゃんが「キサキの服になっている」と言った。「キサキ」とは「妃」のことである。私の顔やたたずまいがそうだというのではない。ただたんに服(衿)の状態が、である。ケイコちゃんはオリジナルな表現をよくする人だった。
堰の建築構造についての話はすっかり忘れたが、この日、とてもたのしかったことをおぼえている。
帰りのバスでマイクがまわってきた。
昔、貸し切りバスには天井にレールが通っていて、一本だけマイクがぶらさがっており、それをシューッシューッと移動させて、歌をうたう人が用いた。今のケータイ(折り畳んだとき)くらいの大きさで、側面にオンとオフのスイッチがついていた。
色はだいたいY10、B40、W50くらいの灰色だった。
そのマイクでスズキくんがジュリーの「君だけに」をうたった。
スズキくんはバスの最後列にすわっていた。
最後列にすわるのはクラスで有力勢力の派閥に属する男子だった。これはおそらく当時、全国的にそうだったのではないかと想像する。
ちなみに滋賀県の人が唯一、他県にくだまけるセリフであるところの「琵琶湖の水、とめたろか」で、とめるためにひねる(オフにする)のは、この南郷の洗堰である。
1960年代、貸し切りバスについていたマイクの側面のスイッチのように。